「見る・聞く・つながる」
低コストの中規模展示会
全国と地場、肩を並べ活気
第13回「解決市場」主催
株式会社セブンマーケット
代表取締役 内田幸雄
取材 元西日本新聞記者 水山真人
福岡市で2021年から続くビジネス展示会「解決市場」は、全国企業に負けじと地場企業も肩を並べる活気が特徴だ。DX・AI関連を中心にした出展ブースと、セミナーの2本立て。年2回ほど開催する。今回は出展・セミナー合わせ約70社が参加する。新製品やサービスを「見る」「聞く」だけでなく、来場者が生成AIなどビジネスの最新スキルを参加型で習得する「実践的学び」を提供する。また、コストを抑えた都心のホール会場で開催し、「つながる」ことができるビジネスマーケットとする狙いがある。出展、セミナーのハードルが低く、「顔の見える関係」を支えているという。
DX・AIのセミナーは、個別テーマのほか、連続起業家で人気ユーチューバーでもある池田朋弘さんらによる基調講演も行い、一般に開かれた内容にしてきた。近年は不動産市場が活況な福岡市の地域特性を捉え、不動産業界のDX「不動産テック」にも力を入れている。出展では、展示会場に隣接したセミナールームでのサービス説明会も開催できるほか、出展企業間の交流会も開催される。そのため、東京、大阪と九州の企業間の提携も進んでいるという。
「新規事業」を初めてテーマに
今回は新たに、企業の維持、発展に欠かせない「新規事業」をテーマにした特別セミナーを開催する。新規事業の開発・立ち上げに加え、企業が外部から新規事業として取り入れる「事業承継」の2本立て。新規事業開発は、売上高数兆円規模の企業で研修を担っている株式会社アドタグ(東京)社長の淺場理早子さんが登壇する。淺場さんは、京都大学大学院などで教育活動も行う。事業承継は、大学時代から支援してきた創業100年を超える老舗かまぼこ会社を24歳で継いだ林田茉優さん(28)が、中小企業の後継者不足や承継のリアルを語る。AIのセミナーは今回初めて、建設や不動産など15業種別に開く。また、2日間の開催期間中、交流のランチ会(無料)も初開催する。
ビジネスで人が輝く舞台を 顔の見える関係つなぐ解決市場主催・内田社長に聞く
地場と全国のビジネスマンを結ぶ解決市場の活気。それは「人は可能性を秘めている。それぞれが思いを伝え、活躍したいという望みを叶える場を提供したい」という主催者の思いの反映だ。仕掛け人の内田幸雄・株式会社セブンマーケット社長(62)は、高校時代から公民館でライブを企画するなど、人が活躍する舞台をつくってきた。トップセールスマンをへて販促事業に成功。東日本大震災を機に、故郷の福岡で始めた社会貢献活動が基になり、解決市場を立ち上げた。「顔の見える関係」で築いてきた人脈をベースに、ビジネスマンがお互いの事業発展に貢献しあうハーモニーを全国に響かせつつある。
音楽に夢中になった幼少期
私の原点は、幼少期から夢中になった音楽です。3歳ですでに、タイガースやテンプターズの曲が流れるとテレビの前にかじりついていたと聞きます。父は戦後、国鉄職員として英語通訳を担い、アメリカン・スタンダードや映画音楽が好きでした。母は一度聞いた曲はすべてオルガンで弾けました。そんな両親の下で育った私が小学4年生で初めて買ったレコードは、カーペンターズでした。
読書と作詞が深めた人間理解
小学生の頃から歴史の本や図鑑にも親しんでいました。中学生になってアコースティックギターを買い、高校で曲作りを始めました。その時、阿久悠さんの本に出会い、「歌詞はマーケティングだ」という考え方に衝撃を受けました。それからは作詞家に憧れ、ゲーテやリルケの古典詩を読み、人間性への理解を深めました。自作の曲は、ハードロックの曲調に、大人の恋愛観を描いた歌詞を乗せた、ませた内容でした。
チェッカーズと競った高校時代、原風景の「遠賀ジャム」
高校3年の時、バンドでヤマハのコンテストに出場し、八幡代表となりました。当時はいつも福岡と北九州の一騎討ちで、プロデビューも視野に入っていました。しかし、九州代表の座をさらっていったのは、当時ノーマークで、後にスターとなる久留米代表のチェッカーズでした。悔しかったです。高校時代はほかに、地元の岡垣町や芦屋町などの高校生のバンドを集めて、米国の音楽フェスティバルを模して「遠賀ジャム」というライブを企画しました。この時、ライブハウスがない郡部で発表の場がなかった大勢のバンド仲間が活躍するステージを作ったのが、私の原風景になっています。
新入社員でトップセールス
大学卒業後、音楽の有線放送事業の「USEN」(当時)に入社すると、子供の頃から親しんでいた歴史の知識が思わぬ武器になりました。配属先は、ターゲット層の飲食店が少なく、営業が難しいと言われた宗像地方でした。しかし、地元の名士を訪ねては、祖先である地域の豪族の歴史をすらすら話すと、一気に信頼され、次々と人を紹介してもらえました。農園や工場、事務所など、新たな顧客層を開拓し、一躍トップセールスマンの仲間入りを果たしました。
女子社員の活躍手掛け、全国進出
20代で管理職になった私は、男女雇用機会均等法で増えた女子社員たちの営業部隊を持つことになりました。従来の飛び込み営業では、女子社員が危険な目に遭う恐れがありました。安心して能力を発揮できるよう考えたのが、書店やレンタルCD・ビデオ店での店頭販売でした。当時は黎明期の手法でしたが、購買実績を分析して場所を絞り込む戦略を駆使して、男子部隊を上回る成績を達成しました。活躍の場は家電量販店やスーパー、駅構内へとみるみる広がり、スタイルが確立していきました。実績が評価され、光ファイバーの新事業では全国選抜メンバーに選ばれ、首相官邸に隣接する高層ビル「山王パークタワー」でメガバンクやソニーから出向のエリートと肩を並べて働く機会も得ました。
現場感覚と数値融合、通販の黄金期支える
39歳で独立して福岡で販促会社を立ち上げ、ニッセンの全国代理店として一時代を築くことになります。ここでも、USEN時代に培った「現場感覚と数値管理の融合」が活かされました。カタログの設置先は当時、書店でしたが、廃業傾向を統計で明確にして、スーパーやドラッグストアへのシフトを提言。さらに、カタログを「設置して終わり」ではなく、各店舗の在庫の消化スピードを把握・分析する管理システムを構築しました。店長の協力体制、客の動線も現場で確認して、販売実績の上がる設置先を厳選していきました。福岡から始まったこのモデルは関西、中四国へと拡大し、ついには全国の代理店業務を任されるまでになりました。数値管理と現場運用を徹底し、通販カタログの全国流通網を構築し、業界の黄金期を支えた自負があります。
東日本震災後の挑戦「ビジネスへの貢献」
2011年の東日本大震災を機に故郷へ戻り、次なる事業を模索する中で最も重視したのは、社会に貢献できる事業を創りたいということでした。すでに40代後半になっていた私も、震災後の日本を包んでいた空気感の中にありました。そこで、大学生の就職支援のためのインターンシップを始め、学生が飛び込みで企業訪問するときに持っていくビジネス誌『BIZREAD FUKUOKA』を制作しました。地場企業のトップがインタビューを受ける誌面は好評で、当初の4ページから最終的には32ページまで拡大。福岡、北九州の両市長やハウステンボス社長まで登場するほどに育っていきました。
採算の問題で休刊しましたが、お世話になった方々のために企画したのが、登壇10分という「ロックバンドのコンテスト形式」の交流会でした。そこで識学やビズリーチといったSaaS企業の支店長から「自分たちの営業の場を継続して作ってほしい」と請われたことが、「解決市場」発足のきっかけです。自分の中でピンときました。「インターネットが普及した時代でも、ビジネスの根幹を動かすのは、やはり『顔の見えるリアルな関係』。それはすなわち『解決市場』だ」 コロナ禍での中止をへて、500万円の自腹を切って初回を開催。その実績が信頼を呼び、2回目以降、年2回ほどのペースで継続できています。
今も昔も大規模会場での展示会は多大なコストがかかるため、大手企業主導のものが大半ですが、解決市場は違います。東京、大阪と九州の中小企業やベンチャー企業が一堂に集うことでコストを最小限に抑え、かつ密度の濃い出会いを演出する。私がこれまでのキャリアで培った人脈・信頼関係と、現場での分析力を総動員し、ビジネスマンが互いに助け合い、誰もが活躍できる、次のステージへと進むきっかけとなる「共生」の舞台を、この福岡で確立して、全国へと広げていきたいと考えています。
この記事は、日本新聞協会賞受賞記者 水山真人(みずやま・まさと)が取材・執筆しました